徳富蘇峰の『吉田松陰』改訂版緒言

 

若し日本精神の権化を、上下古今の日本人中に求めば、私はその一人として、本書の主人公 ―吉田松陰先生― を挙げるに遅疑しない。これは私一人の私言ではあるまい。若し松陰先生その人に就いて、若干の知識ある者ならば、誰しも異口同音に斯く断言するであろう。

 

維新回天の期間は、日本に於ける人材繁昌の時代であった。大名の中には、島津斉彬、水戸烈公、水野越前守、阿部伊勢守、鍋島閑叟、山内容堂、松平春嶽などと云う人々があり、宮家及び公家の中には、久邇宮朝彦親王、山階宮晃親王、岩倉具視、姉小路公知、三條実美等の人物あり、又日本国中を押しならして、藤田東湖、佐久間象山、横井小楠、橋本左内等を初めとし、幕府側には、三卿の一人、一橋慶喜あり、小栗忠順、勝海舟、川路聖謨、岩瀬多震、水野忠徳等あり、大名の家来には西郷南洲、大久保甲東、木戸松菊、長井雅樂、周布政之輔、高杉晋作、久坂義助、吉田東洋、武市瑞山、原市之進等あり、又所謂浪士の中には、梁川星巌、梅田雲濱、眞木和泉、平野國臣より凡有る脱藩士の中にも坂本龍馬、中岡慎太郎党の如き人物があった。

以上はただ私が頭に偶然浮び来る者を挙げたに止り、これを逐一網羅せんとすれば、一篇の人名辞書を作るも、尚足らざる程である。然れどもその中に於て眞に愛すべき一人は、本書の主人公に若く者はあるまい。

 

人は神でなく、特に天才は欠点を伴い、英雄は大概不具である。我等は吉田松陰先生を決して偶像視するものではない。我等が偶像視せんとするも、先生は遠慮会釈なく、自分の欠点を暴露け出して、これを公開せねば、安心出来ない程の正直漢であった。我等が縦令金箔で先生を塗潰さんとするも、先生は遮二無二これを剥ぎ去り、生地の儘を露出せねば承知出来ない性分であった。

併し一切を乗除して、先生は實に日本男児の眞面目を具えていた。その第一は大義名分を明らかにしたることであった。その第二は自ら身を以てその理想に殉えたることであった。即ち、言う所は必ずこれを行い、行わずんば息まざる人であった。第三はその一切の動機は君国の為に存して、殆ど寸毫も自己の為めに為し、若しくは為さんとしたることがなかった。而して先生の特色は實に多血多情にして、最も人情味の饒きことであった。

 

若し大見識家としてその人を求めば、他に或はこれあらん。若し大改革家としてこれを求めば、他にその人あらん。若し大経綸家として、将た大手腕家としてその人を求めば、他にその人あらん。然も日本男児の標本として求めば、我等は潔白なる良心を以て、先生に投票することを寧ろ誇りとする者である。

 

先生の三十年の生涯は、殆ど失敗の記録であった。然もそれは功利主義よりの打算であって、理想主義よりみれば、悉く皆効果的ならざるはなかった。下田踏海の一件は、失敗の主なるものであった。然もペリー提督は、先生が國法を犯して死地を踏み、その志を達せんとしたる企を見て、初めて日本國民の中には、此の如き大志ある者の存在することを知った。これが為に日本國と日本國民の信用を、ペリー提督及びその一行に高めたることは、当時の幕府が役にも立たぬ、仰山なる諸藩の軍兵を駆り集め、これを海岸に飾り立てて、却って外人の侮笑を招きたるに比すれば、萬々と云わねばならぬ。

 

且又た先生は殆ど何事をも達し得ずして死んだ。されば功利的にみれば、先生の死は殆ど無意味の如くに見る者もあろう。然もその實は決して然らず、これが為に維新回天事業の急先鋒となり、無数の志士の奮起を促成して来たのであって、先生の濺ぎたる鮮血は、實に維新回天事業の犠牲壇上の神聖なる供物であった。即ち物質的には一切失敗であり、精神的には一切成功である。然も成敗利鈍は先生が初から期待したる所でなく、先生は只だ為すべきことを為し、盡すべきことを盡したに過ぎなかった。

 

人或は古の英雄を願望することは、國民的志気の萎靡したる兆候だと言う。然も著者の意見は全くその反対である。國民がその先輩の献身的精神と、英雄的気魄とを嘆美することなく、一切これを忘却したる時には、これ國民が自暴自棄の時代にして、精神的重症の刹那である。然も一度頭を回らしてこれを想起し、これを嘆美し、これを崇拝し、自ら進んでその精神を精神とし、その気魄を気魄とする如きに至れば、これ國民の所謂更生の曙光を見出したる時期にして、實に國運興隆の兆候と云わねばならぬ。

 

私が改訂版「吉田松陰」即ち本書を出したるは、明治四十一年の秋であった。而してこのそれは私の父の八十八歳の前年にして、所謂その米寿を祝せんが為めであった。而して此の改訂版を出すことに就いて、最も私を刺戟し、且つ慫慂せられたるは、松陰先生の門下、本書に所謂野村和作とある子爵野村靖君と乃木大将とであった。顧みれば二十有七年、その間世態変遷殆ど夢中に夢を辿るの感がある。但だ不肖私が文章報國の志、これによって尚お聊か報いる所あるを得たるを以て自ら慰むるのみ。

今や非常時に際して、本書の需要最も江湖に熾んに、遂に普及版を刊行せざるべからざるに至る。私は単り本書の為にその多くの読者を多く得つつあることを喜ぶばかりでなく、實に國運興隆の兆候として慶賀の至りに堪えない。


昭和九年一月六日        

於東京民友社楼上        

蘇峰七十二叟



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