北山安世宛(書簡)         安政六年四月七日   三十歳

幽囚中、懸料(けんりょう)の論なれば隔靴(かっか)の所多からん。さりながら天下の大勢(たいせい)大略(たいりゃく)知れたるもの、実に神州の陸沈(りくちん)(うれ)ふべきの至りなり。幕府遂に人なし、瑣屑(させつ)の事は可なりに弁じも致すべけれども、宇宙を達観して大略を()ぶるの人なし。外夷(がいい)控馭(こうぎょ)最も其の宜しきを失ひ著々(ちゃくちゃく)人に制せられること計り、癸丑(きちゅう)甲寅(こういん)より巳に六.七年に及べども今に航海の事なし。華盛頓(わしんとん)

何処(どこ)にあるやら、竜動(ろんどん)が如何なる(ところ)やら、()そらごとにて何の控馭(こうぎょ)()くなさんや。然れども幕府の()皆肉食と紈袴(がんこ)の子弟のみなれば、就中(なかんずく)一、二の傑物ありとも衆楚(しゅうそ)囂々(ごうごう)一斉(いっせい)(ひと)()()つべきに非ず。因って思ふ、東晋(とうしん)南朝及び趙宋(ちょうそう)などの中原(ちゅうげん)を回復得せぬも勢いなり。況んや今の徳川をや。徳川存する内は(つい)(ぼく)()(あん)(ふつ)に制せらるることどれ程に立ち行くべくも計り難し、実に長大息(ちょうたいそく)なり。(さいわい)に上に明天子(めいてんし)あり。深く(ここ)叡慮(えいりょ)を悩まされたれども瑨神(しんしん)衣魚(いぎょ)陋習(ろうしゅう)は幕府より更に甚だしく、但だ外夷(がいい)を近づけては神国の(けが)れと申す事(ばか)りにて、上古(じょうこ)雄図(ゆうと)遠略(えんりゃく)等は少しも思召(おぼしめし)(いだ)されず、事の成らぬも(もと)より其の所なり。列藩の諸侯に至りては征夷の鼻息(はないき)を仰ぐ迄にて何の建前(たてまえ)もなし。征夷外夷に降参すれば其の後に従ひて降参(こうさん)する外に手段なし。独立(どくりつ)不羈(ふき)三千年の大日本、一朝(いっちょう)人の羈縛(きばく)を受くること、血性(けっせい)ある者視るに忍ぶべけんや。那波列(なぽれ)(おん)を起してフレーヘードを唱へねば腹悶(ふくもん)(いや)し難し。僕固より其の成すべからざるは知れども、昨年以来微力(びりょく)相応(そうおう)粉骨砕身(ふんこつさいしん)すれど一も裨益(ひえき)なし。(いたずら)岸獄(がんごく)に座するを得るのみ。此の余の処置妄言(ぼうげん)すれば(すなわ)(ぞく)せられんなれども、今の幕府も諸侯も最早(もはや)酔人(すいじん)なれば扶持(ふじ)(じゅつ)なし。草莽崛起(そうもうくっき)の人を望む(ほか)頼みなし。されど、本藩の恩と天朝(てんちょう)の徳とは如何(いか)にしても忘るるに(ほう)なし。草莽崛起(そうもうくっき)の力を以て近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興(ちゅうこう)を補佐し(たてまつ)れば匹夫(ひっぷ)(まこと)(そむ)くが(ごと)くなれど、神州に大功(たいこう)ある人と云うべし。此の人要するに管仲(かんちゅう)巳下(いか)には立たざるなり。外夷の事情如何(いかん)。余が所見(しょけん)にては(ぼく)()の処置大いに次序(じじょ)ある(よう)見ゆ。

()立国の(ほう)(よろ)しく、国(また)(はなは)(ふる)からず、最も強敵なるべしと思ふ。藩人(はんじん)崎遊(きゆう)せし者多く暗夷(あんい)の無力を誇張す。()()は大国の風と云うふべきかなれども()迂闊(うかつ)を覚ゆ。高見(こうけん)如何(いかん)(ぼく)()登城(とじょう)せし、「ハルリス」は僕深く(おそ)れず、虚言(きょげん)(はなは)だ多し。征夷府中(ふちゅう)に是れをさえ弁析(べんせき)のなきは嘆ずべし。然れども「ハルリス」の(げん)(ちく)(いち)行はるる時は神州実に危し。「ハルリス」の言虚喝(きょかつ)ならば(さいわい)なり、如何(いかん)墨夷(ぼくい)東洋に一地(いっち)もなければ爪哇(じゃわ)や日本を懇望(こんぼう)するは実に()れに在りて()むを得ざるのことならん。

愚案(ぐあん)逐一(ちくいち)述べがたし。大要(たいよう)今の(まま)にては神州陸沈(りくちん)疑ひなし。回復の策は劉項(りゅうこう)那波列(ナポレ)(オン)等に非ざれば出来がたし。而して今未だ(ココ)着眼(ちゃくがん)の人を見ず。老兄(ろうけい)奇見(きけん)異識(いしき)の士なれば一説(いっせつ)を聞かんことを願ふなり。己未(きび)四月七日

北山君 座下(ざか)                        辱交(じょくこう)(てい)寅二白す

在獄(ざいごく)なれば拝面実に(かた)し。且つ臭穢(しゅうえ)の地(らい)()(はずかし)うすることは失礼の極なり。さりながら御来過の節必ず拝面(はいめん)心事(しんじ)を尽すべくと去年来大きに渇望(かつぼう)せし宿志(しゅくし)なれば、何卒(なにとぞ)事を成したきは海山なり。委細(いさい)(せい)へ心事申付け置きたれば御高聴(こうちょう)を希ふのみ。賎著(せんちょ)応接書弁駁(べんばく)、品川生へ付し置き候。御一見頼み奉り候。

 

 

 

解 説

北山安世は、松陰が終生、師と仰いだ佐久間象山の甥であり、嘉永六年江戸遊学以来の友人である。このとき、北山は長崎遊学の帰途、萩に立ち寄った。松陰は北山に自らの時局観を披瀝し「独立不羈三千年来の大日本...那波列翁を起してフレーヘードを唱へねば腹悶医し難し」と憤激の念をぶちまけ、ついに「草莽崛起の人を望む外頼みなし」と言い切っている。草莽崛起の人に頼る外ないと明言していることが注目される。

しかも、もともと外国通であり、また長崎遊学をしたばかりのこの友人から、新しい情報とともにその意見をなお聞こうとする松陰である。

なお北山とは四月十一日と目される日に面談したものと思われるが、外部をはばかってか「北山安世を夢む」(四月十一日、『己未文稿』)、「重ねて北山君を夢む」(四月二十一日、『己未文稿』)とあるように「夢」にことよせている。

 

 

 

用語解説

北山安世=生年不詳―一八七○。信濃(長野県)松代藩医、兵学者。佐久間象山の甥。嘉永六年、江戸遊学中の松陰と交友。安政六年四月、獄中の松陰をお訪う。文久二年、長州藩に招請され騎兵書を講じた。帰国後、発狂し明治三年病没。

懸料の論なれば隔靴の所多からん=当て推量の議論であるから、はがゆい所も多いだろう。

神州の陸沈=神国日本の滅亡。   人なし=すぐれた人材がいない。

瑣屑のことは可なり弁じも致すべけれども=細かでつまらないことはかなり説明できるけれども。

宇宙を達観して大略を展ぶる=全世界をあまねく見透して根本政策を展開する。

外夷控馭最も其の宜しきを失ひ...制せられること計り=外国の思いのままに抑さえ取り締まるのに最適の機会を失い、着々と他国に支配されることばかり。

癸丑.甲寅=嘉永六年。安政元年。   航海のこと=外国と往き来すること。

華盛頓=ワシントン。アメリカ合衆国の首都。  竜動=ロンドン。イギリスの首都。

画そらごと=絵空事。実際とはことなる、想像されたうそ。

控馭=馬を使う。転じて馬を抑えるように、人を抑えて自由にさせない。抑え取り締まる。

肉食の鄙夫=贅沢な暮らしをしている、つまらない人間。

紈袴の子弟=紈袴は白絹の袴で、貴族の子弟が着用する。柔弱な貴公子の意。

就中=とりわけ。特に。

衆楚の囂々、一斉の能く克つべきに非ず=楚の国の大夫が子供に、上品で正しい斉国の言葉を学ばせようとして斉から先生を招いた。しかし、周囲で楚の人々が盛んに楚語をしゃべるので、その子は斉語を習得できなかった。主君を善導しようとして優れた指南役をそばにつけたところで、大勢のつまらない人々に囲まれている状況ではどうしようもない。(『孟子』藤文公下)

東晋=三一七〜四一九 司馬睿が晋王の位につき建康(今の南京)に都し、一一代、一○四年間続いたが、六朝の宋に滅ばされた。

南朝=四二○〜六一六 東晋の後、建康に都を置いた。宋.斉.梁.陳の四王朝。

趙宋=九六○〜一二七九 宋王朝。趙匡胤が即位し、一六代、三一九年続いたが、一二七九年、元のフビライによって滅ぼされた。

中原を回復得せぬも勢いなり=中原は中国の政治、文化の中心である黄河流域。東晋.南朝.宋の時代には、この中原をめざして匈奴、蒙古族等が侵入して争ったが、漢民族がこの中原を取り戻す事が出来なかったのも時代の流れである。

況んや今の徳川をや=まして、今の徳川幕府が同様であることは言うまでもない。

墨.魯.暗.仏=アメリカ.ロシア.イギリス.フランス。

どれ程に立ち行くべくも計り難し=どのような状態になってゆくのか、予測しがたい。

長大息=大きなため息。大変心配である、の意。   明天子=孝明天皇をさす。

叡慮=天皇のお考え。

瑨神衣魚の陋習=公家達の、ちょうど、しみが衣類や書物について食い破るように、権力に取りついて政治を害する悪い習慣。

上古の雄図遠略等=古代に行われた、国家の雄大な計略。

列藩の諸侯に至りては...建前もなし=並み居る諸大名は徳川将軍のご機嫌を覗うばかりで何の方針も持たない。

独立不羈三千年の大日本=三○○○年このかた独立を守り抜き、外国からの支配を受けたためしのない大日本。

一朝人の羈縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや=ある日突然、外国の支配を受けることを、血気盛んな者は平気で見ていることができようか。

那波列翁=ナポレオン=ボナパルト。一七六九〜一八二一 フランス皇帝。在位一八○四〜一四.一五『ナポレオン法典』を作るなど軍事、政治に敏腕を振るった。

フレーヘード=自由。オランダ語。vrijheid

腹悶医し難し=胸中の苦悩を解消できそうもない。

粉骨砕身=骨を粉にし身を砕く。力の限り尽くすこと。

一も裨益なし=少しも役に立たない。  岸獄=牢獄。

妄言すれば則ち族せられんなれども=出まかせを言うと一族全てに罪が及ぶであろうが。

酔人なれば扶持の術なし=酔っぱらいであるから、助ける術がない。

草莽崛起の人=在野から奮い立ち、尊皇攘夷の志ある人。

本藩の恩=長州藩から受けた恩恵。   天朝の徳=朝廷から受けた仁徳。

中興=衰えていたものを再び盛んにすること。再興。

匹夫の諒に負くが如くなれど=在野の男が尽くすべき忠誠の域を越えるようであるが。

管仲巳下には立たざるなり=管仲に並ぶ、立派な人物といえよう。管仲は春秋時代、斉の桓公に仕えた名宰相。管仲の尽力で桓公は春秋五覇の第一人者となった。

墨夷の処置大いに次序ある様見ゆ=アメリカの外交措置は、一定の手順を踏んでいるようにみえる。

立国の方も宜しく、国又甚だ古からず=国家建設の政策も適当で、建国も非常に新しい。アメリカの独立宣言は一七七六年。

藩人崎遊せし者=長州藩士で長崎に遊学した者。

暗夷=アンゲリア(イギリス)。    魯夷=ロシア。

迂闊を覚ゆ=うっかりして気がつかない所があるように見える。

高見如何=あなたのお考えはいかが。

ハルリス=一八○四〜七八 タウンゼント.ハリス。幕末のアメリカ外交官。一八五六年、初代駐日総領事として来日。五八年日米修好通商条約を締結。

弁析の人なきは嘆ずべし=真偽をただす人がいないのは嘆かわしい。

虚喝=から嚇し。   

爪哇=ジャワ島。オランダ語。Jawa。東インド大スンダ列島南部の首島。

懇望=心から望むこと。   愚案=私の案。謙譲表現。   

神州陸沈=神国日本の滅亡。  回復の策=日本を復興させる方策。

回復の策=日本を復興させる方策。

劉項=劉邦(前二五六〜前一九五)漢の高祖。漢王朝を立て、長安に都した。在位一二年。

項羽(二三二〜前二○二)楚の将軍。劉邦と争って垓下で破れ、烏江で戦死)

那波列翁=ナポレオン。   着眼の人=眼のつけどころがしっかりしたひと。

奇見異識の士=優れた見識の持ち主。   一説=あなたの意見

己未=安政六年(一八五九)

座下=手紙の宛名に添えて敬意を表す言葉。おそば、の意。

辱交弟寅二白す=辱は相手に対してへりくだったことば。辱交弟は、かたじけなくも弟としておつきあい頂いている、の意。寅二は幼名寅次郎の略。白は申上げるの意。

拝面=面会すること。

臭穢の地来顧を辱うすることは失礼の極なり=臭くて穢れた牢獄においでいただくことは大変失礼に存じます。

御来過の節必ず拝面心事をつくすべくと...=萩にお立ち寄りくださる節は必ずお会いして、私の心の中に思っておりますことをすっかり申上げようと...。

渇望せし宿志=心から望んでいた、かねてからのこころざし。

何卒事を成したきは海山なり=是非このことを成功させたいと熱望しております。

委細=詳しいこと。   

品川生=品川弥二郎。一八四三〜一九○○。長州藩足軽。安政五年間部要撃に加わる。

維新後、内務大臣、枢密院顧問官。

御高聴を希ふのみ=お聴きいれください。

賎著応接書弁駁=松陰の著述。「墨使申立の趣論駁条件」をさす。安政四年一○月二六日、アメリカ総領事ハリスが、老中堀田正睦を訪ね、世界の情勢、アメリカの施政について述べ、通商条約の締結が急務であるとの意見書を提出した。松陰がこれに反駁したもの。(『戌午幽室文稿』)

付し置き候=託しました。   御一見頼み奉り候=一度ご覧下さるようお頼みします。



吉田松陰の名文・手紙を読む【目次】ページへ戻る

吉田松陰.comトップページへ