吉田松陰名語録

吉田松陰は、いくつかの「名語録」とでも云うべき、印象的なことばを遺している。

今日は、私の好きな「15の語録」を書きだしてみた。「致知出版社」からは、三冊もの本が刊行されている。

松陰の学問は「誠」に象徴されるごとく、心を打つものが多い。そして、「志」にちなむことばが印象的である。一面、「詩人」と称す人がいるのも首肯しえる。

親に対する思いはまるで『孝経』そのものである。親孝行といいたのであるが、それは、本人の思いと裏腹の現実であった。まことに、自分の信念を貫くために、親兄弟や親戚に迷惑のかけ通しの人生であった。杉一族は松陰が「事件」を起こすたびに連帯責任をとらされた。

明治22年、皇后陛下より松陰の母宛に「下賜品」を受け取った、かつての「門下生」内務大臣、品川彌二郎が感涙にむせびながら、これを松陰の兄、民治(旧名梅太郎)に『彌二が心中お察し下さるべく候』と書簡をしたためた気持ちも解ろうというものである。

 

@    学は人たる所以を学ぶなり(松下村塾記)

A    志を立てて以て万事の源と為す(士規七則)

B    万巻の書を読むに非ざれんぞ千秋の人たるを得ん(松下村塾聯)

C    松下は陋村なりと雖も誓って神国の幹とならん(村塾の壁に留題す)

D    身皇国に生まれて皇国の皇国たるを知らずん何を以て天地に立たん(睡餘事録)

E    知を離れて人なく、人を離れて事なし人事を論ずる者は地理より始。(講孟余話)

F    若し僕幽囚の身にて死なば、吾必ず一人の吾が志を継ぐの士を後世に残し置くなり。(勤皇僧黙林宛書簡)

G    今の幕府も諸侯最早酔人なれば、扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼みなし。(北山安世宛書簡)

H    親思うこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん(父叔兄宛書簡)

I    至誠にして不動者未だ古より之れ有らず。(小田村伊之助に與ふ

J    平生の学問浅薄にして、至誠天地を感格すること出來申さず、非常の変に立ち到り申し候(父叔兄宛書簡)

K    世の人はよしあしごともいはばいへ賤が誠は神知るらん(回顧録・白井小助宛)

L    身はたと武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置まし大和魂(留魂録)

M    かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂(回顧録)

N    扠も扠も思ふまいと思ふても又思ひ云ふまいと云ふても又云ふものは國家天下の事なり(兄梅太郎宛書簡)



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