十九日(安政六年五月)
『宗族に示す書』
安政六年五月十九日 松陰在萩野山獄 二十九歳
(吉田松陰全集:第九巻五五一頁、東行前日記)
吾が宗祖の行、吾れ詳かにするに及ばず、子の行、吾れ未だ知る能はず。謹んで吾が父母伯淑を觀るに、忠厚勤儉を以て本と為す。吾れ竊かに祖母の風を仰ぐ、蓋し由あり。今吾が兄弟行漸く将に泰者の風を萌さんとす、誠に惧るべきなり。而して其の忠厚を存する者は兄伯教に若くはなし。その勤儉を存する者は妹千代・従兄弟毅甫に若くはなし。為之兄は兄弟中の長者、敬せざるべからず。矩方の如きは一鴟梟なり、然れども亦嘗て泮桑を食ふ。時に或は好音あり、況や其の将に死せんとする、其の言哀しく且つ善きをや。群弟群姪、宜しく愼んで之れを聽き、永く後人に傳ふべし。
【用語】
宗族 = 本家と分家と一族。
宗租= 一家一門の先祖。
詳かにするに及ばず = 詳しく知ることが出来ない。
忠厚勤儉 = 真心を尽くし親切で仕事に励み、つつましく暮らすこと。
祖母の風を仰ぐ = 松陰の祖父、杉七兵衛常徳の妻(岸田氏)の教え。
泰者の風を萌さん = 贅沢をすること。
兄伯教 = 実兄梅太郎。伯教はそのあざな。
若くはなし = 及ぶ者はない。
妹千代 = 松陰の長妹。松陰は度々彼女に書簡をしたためている。
毅甫 = 叔父玉木文之進の嫡男・玉木彦介。
為之兄 = 従兄・高須為之進。
長者 = 年長の人。
矩方 = 松陰の本名。
一鴟梟 = ふくろう。夜出て、他の鳥の子を捉えて食う惡鳥。転じて凶悪な人に例える。
松陰は度々罪を獲、俗人の目からは鴟梟のように見られたことを言う。
泮桑 = 学校の食禄のこと。藩校明倫館に出仕して食禄を得ていたことをさす。
好音 = 美しい鳴き声。ここでは大義名分を説いたことをさす。
其の将に死せんとする、其の言哀しく且つ善き = 『論語』泰伯篇第八章に『曽子言日、鳥之将死、其鳴也哀。人之将死其言也善』とあるのを踏まえている。
群弟群姪 = 数多い兄弟や甥。
後人 = 子孫。
【解釈】
東行を目前にして一族の将来について、一抹の不安を松陰は抱いていた。此の一族が生活の指針としていたのは「忠厚勤倹」であった。この家風は、百合之助、大助、文之進をそれぞれひとかどの人物に育て上げた祖母岸田氏によって作り上げられたものと松陰は謝意をいだいていたようである。松陰にとって気がかりなのは、今は父や兄の力で杉家は安定しており、そのため反って勤倹の気風が廃れつつあると思われることであった。
妹の千代に宛てた書簡でも「父母様のご苦労を知って居るのそもじまでぢゃ。小田村(寿)でさへ山宅(松陰達が生まれ育った団子岩の家)の事はよく覚えまい。増して久坂(文)なんどは尚ほ以ての事。されば拙者の気遣ひに観音様を念ずるよりは、兄弟、をひ(甥)、めひ(姪)の間へ、楽が苦の種、福は禍の本と申す事を篤と申してきかせる方が肝要ぢゃ」(妹千代宛・安政六年四月十三日・全集第八巻、三○二頁)と言い聞かせている。(松風会刊行・吉田松陰撰集より)
自らの死を予感しつつも、一族の将来に思いを致す松陰の人となりに、吾々は心打たれる。本来は、自分の生命の危険を予知したら、己のことへの思いに精一杯であるはずなのに、ここが松陰の人間性を感じさせるところで、こうしたことが不朽の名を残す一因なのかも知れない。松下村塾での教育の成功は、門弟の出世の実態に焦点をあてたものが多いが、人間の「感化力」は、知識や行動のみでなく、松陰の言う「人の道」を歩む人生態度の中に見出されるべきだと思うのである。それ故に、松陰の愛国心は、以心伝心で門下生の国事行為に繋がって、民族の独立を全うさせる使命に立ち向かわせる原動力となったのであろう。こうした事実の中にこそ、「維新の精神的指導者」としての松陰の偉大さを見出すべきであろう。
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