父叔兄(ふしゅくけい)宛 (書簡)安政6年(18591020日(全集第9巻:417頁)

 

死罪を覚悟して、親族に宛てた「別離」の手紙です。万感胸に迫って来て、涙なくして読めません。吉田松陰の「親思い」の人柄を示す有名な書簡です。以下、読下し文です。

 

『平生の学問浅薄にして、至誠天地を感格すること出来申さず、非常の変に立到り申し候。嘸々(さぞさぞ)御愁傷も遊ばさるべく拝察仕り候。

  親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん

  ・・今更何も思ひ残し候事御座なく候。・・・幕府正議は丸に御取用ひ之れなく、夷狄は縦横自在に御府内を跋扈(ばっこ)致し候へども、神国未だ地に墜(お)ち申さず、上に聖天子あり、下に忠魂義魄(ぎはく)充々致し候へば、天下の事も余り御力御落し之れなく候様願ひ奉り候。随分御気分お大切に遊ばされ、御長寿を御保ち成さるべく候。以上。

 

十月二十日認(したた)め置く。

 家大人(かたいじん) 膝下

 玉丈人(ぎょくじょうじん)膝下

 家大人(たたいじん・兄)膝下

 

両北堂(母、養母)様随分御気体御厭ひ専一に存じ奉り候。・・・児玉・小田村・久坂の三妹へ五月に申し置き候事忘れぬ様申し聞かせ頼み奉り候。○私首は江戸に葬り、家祭には平生用ひ候硯(すずり)・・・十年余著述を助けたる功臣なり。

松陰二十一回とのみ御記し頼み奉り候。』

 

十月二十日以降、松陰は二通の手紙(23日)を書いて終わっている。生涯630通の書簡である。

そして、処刑前々日(25日)から書き始め、翌日の黄昏時に書き終えた『留魂録』2通が最後の遺文となったのです。この書簡は平常心では読めず、万感胸に迫るものがあります。 合掌

 

 

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