松陰の妹「千代」宛て手紙

 

前回で「杉一族」のことを書きました。松陰は父に対して、日本語では最高の尊敬語をつかって「家大人」と書き、兄に対しては「家大兄」という言葉で書簡の宛名をしたためています。この背後には父や兄といった目上の人に対する尊敬の念が込められています。

わたしが、時に吉田松陰は「儒教の申し子」と表現してきましたが、松陰は、まさしくこうした礼儀正しい人となりでありました。なかなか普通人には真似ることも、あやかることも相当な努力が要ります。

 

さて、掲題の記事に入ります。全集第七巻、279頁:「妹、千代宛て」と題した書簡が収載されています。松陰が萩の野山獄からだした手紙で、安政元年十二月三日の日付です。これは、松陰が野山獄に投獄されて50日程経過したころの手紙である。人の道、婦人の道、誠の在り方、孝行の在り方など、松陰の価値観、人生観がわかる。最後に、俳句の指導をしている。千代この時23歳。 大変面白い。以下、原文を下記します。

 

『妹千代宛』

十二月三日  (松陰、在 野山獄 ・ 千代、在 萩松本)

十一月二十七日と日づけ御座候御手紙、幷びにねぶ・三かん・かつをぶしともに、昨ばん相とどき、かこひの内はともしくらく候へども、大が相わかり候まま、そもじの心の中をさっしやり、なみだが出てやみかね、夜着をかむりてむせり候へども、如何にもへかね、又起きて御文くりかへし見候て、いよいよ涙にむせび、つひになりに寝入り候へどもなくめがさめ、よもすがら入り申さず、色々なる事思ひ出し申し候。わもじは、父母様やあに様の御かげにて、きものもあたたかに、給物もゆたかに、あまつさへ筆かみ書もつまで何一つふそくこれなく、寒きにもきけ申さず候間、御安心成さるべく候。そもじの御家おばさまも、御なくなりなられ候事なれば、そもじ萬たん心懸け候はでは相すまぬ事、ことにおぢさまも年まし御よはひ高く成らせれ候ゆゑ、別して御孝養を盡し候へかし。又萬子も日々ふとり申すべく候へば、心を用ひてそだて候へ。赤穴のあさまは御まめに候や、御老人の御事、萬事気をつけて上げ候へ。かかる御らう人は家の重はうと申すものにて、きんにも玉にもけへらるるものに之なく候。そもじことは、いとけなきをりより心得よろしきものとおも、一しほ親しく思ひ候ひしが、此のほど御文拝し入らざる事までも申し進め候なり。

三日                     大に

別にくだらぬ事三四まいしたためつかはし候間、おととさまか梅に様に、讀みよき様に寫してもらひ候へ、少しは心得の種にもなり申すべく候。扨て御たようの中にも、手習よもものなどは心掛け候へ。正月には、一日どもはやぶ入り出来申すべく。どうぞあに様の御きう日をえらび参り候て、心得になる噺ども聞き候へ。拙も其の日分り候はば、昔噺なりともしたためて遣はし申すべし。又正月にはいくにもつまらぬ遊事をするものに候間、夫よりは何か心得になるほんなりとも讀んでもらひ候へ。貝原先生の大和俗訓・家道訓などは、丸き耳にもよくこゆるものに候。又浄るりぼんなども心得ありきき候へばずゐぶん役にたつものに候。扨て又別にしたためたる文に付き、うたをよみ候間ここにしるし侍り

頼もしや誠の心かふらん文みぬ先きに君を思ひて

右のしたためたるは、そもじを思ひ候よりふでをとりぬるが其のそもじの文の到来しは定めて誠の心の文より先きに参りたるにと、いとたのもしくぞんじ候まま、かくよみたり。

三日

凡そ人の子のかしこきもおろかなるもよきもあしきも、大てい父母のをしへに依る事なり。就中男子は多くは父の教えを受け、女子は多くはははのをしへを受くること、また其の大がいなり。さりながら、男子女子ともの十歳已下は母のをしへをくることは一しほおほし。故おごそかに母はしたし、父は常に外に出で、母は常に内にあればなり。然れば子の賢愚善悪に関るところなれば、母の教ゆるがせにするからず。併しその教といふも、十歳已下に小児の事なれば、言語にてさとすべきにもあらず。只正しきを以てかんずるの外あるからず。昔聖人の作法には胎教と申す事あり。子胎内にやどれば、母は言語立居より給ものなどに至るまで萬事こころを用、正しからぬ事なき様にすれば、生るる子、なりすがたただしく、きりや人の勝るとなり。物しらぬ人の心にては、胎内に舎れるみききもせずものもいはぬものの、ははが行を正しくしたりとてなどか通ずべきと思ふべけれど、こは道理を知らぬゆゑ合点ゆかぬなり。凡そ人は天地の正しき気を得て形を拵へ、天地の正しき理を得て心を拵へたるものなれば、正しきは習はず教へずして自ら持得る道具なり。ゆゑに母の行ただすければ、自らかんずること更にうたがふべきあらず。是れを正を以て正しきを感ずるともうすなり。まして生まれ出て目もみえ耳もきこえ口もものいふに到りてはたとへ小児なればと何とて正しきに感ぜざるべき扨て又正しきは人の持前とは申せども、人は至ってさときもの故、正しからぬ事に感ずるも又速かなり、能々心得べきことならず。因って茲に人の母たるものの行ふべき大切なる事を記す。此の他ちひさきことは記さずとも、人々弁ふる所なれば略し置きぬいろはたとへにも氏よりは育ちと申す事あり、子供を育つる事は大切なる事なり。

一、          夫を敬い舅姑に事ふるは至っての大切なる事にて、婦たるものの行これに過ぎたる事なし。然れども是れは誰しも心得ぬものなれば申さずともすむべし。扨てかんやうは、元祖已下代々の先祖を敬ふべし。先祖をゆるがせにすれば其の家必ず衰ふるものなり。凡そ人の家の先祖と申すものは、或は馬に乗り槍を堤、数多度の戦場にて身命を擲ち主恩の為めに働きたるか、或は数十年役儀を精勤し尋常ならぬ績を立てたるか、或は武芸人にすぐれたるか、文學世にきこえたるか、何にせよ一かならぬことありてこそ、百石なり百五十石なり知行を賜はり、子孫に傅へたるなり。その以下の先祖と申すものも、夫々御奉公其の節をとげたればこそ、元祖同様に知行を賜はりぬる事なり。この所を能々考へ、この一粒も先祖の御蔭と申すことを寝ても醒めても忘るる事なく、その正月命日には先祖の事を思ひ出し、身を潔くし體を清め是れを祭奉りなどすべし。又一事を行うにも先祖へ告り奉り後行様にすべし。さすれば自ら邪事なく、する事なす事皆道理に叶ひて、其の家自ら繁昌するものなり。もしこのこころえなく己がこころまかせに吾儘一杯を働きなば、如何で其の家衰微ぜざらんや。聖人の教は死去り世に居給は先祖に事ふること、現在の親祖父に事ふ如くすべしとあり。今親祖父げんざいし給へ何事も思召しを伺ひてこそ行ふべきに、世に居給はぬとて先祖の御心をも察し奉らず吾儘計離働くは、是れを先祖を死せりと申す、勿體なき事どもなり。

註、婦人は己が生まれたる家の先祖の大切なる事は、生まれ落つるとより弁へ知るけれど、ややのすれば、ゆきたる家の先祖の大切なる事は思ひ付かぬ事もあらん。能々心得し。人の家にゆきたれば、ゆきたる家家なり。故に其の家の先祖は己が先祖なり。ゆるがせにする事なかれ。又先祖の行状功績等をも委しく心得置き、子供等へ昔噺の如く噺し聞かすべし。大いに益ある事なり。

一、神明を崇め尊ぶべし。大日本と申す國は神國と申し奉り、神々様の開き給へる御國なり。然ればこの尊き御國に生まれたるものは貴きと賤しきとなく、神々様をおろそかにしてはすまぬことなり。併し世俗にも神信心といふ事する人もあれ、大てい心得違ふなり。神ともうすものは正直なる事を好み、また清浄なる事を好み給。夫故神を拝むには先己が心を正直にし、又己が體を清浄にして、外に何の心もなくただ謹み拝むべし。是れを誠の神信心と申すなり。その信心が積りゆけば二六時中己正直にて體が清浄になる、是れを徳と申すなり。

菅丞相の御歌に「心だに誠の道に叶ひなば祈らずとても神や守らん」。又俗語に、「神は正直の頭に舍る」といひ、「信あれば徳あり」といふ、能々考へて見るべし。扨て又佛と申すものは信仰するに及ばぬ事なり。されど強ち人にさからうて佛をそしるも入らぬ事なり。

一、          親族を睦じくする事大切なり。是れも大てい人の心得たる事なり。併し従兄弟と申すもの、兄弟へさしつづいて親しむべき事なり。然るに世の中従兄弟となれば甚だ疎きものおほし。能々考へて見るべし、吾が従兄弟と申すは父母の侄なり。祖父母よりみれば同じく孫なり。さすれば父母・祖父母の心になり見れば、従兄弟を決してうとくはならぬなり。併しながら従兄弟のときと申すは、元来父母・祖父母の教の行きとどかぬなり。子を教ふるもの心得べきなり。凡そ人の力と思ふものは兄弟に過ぎたるはなし。もし不幸にして兄弟なきものは従兄弟にしくはなし。従兄弟・兄弟は年齢も互に似寄り、もの學しては師匠の教受けし事さらへ、事を相談しては父母の命をそむかぬごとく計ら。皆他人にてとどく事にあらず。此の處を能く考ふべき事なり。

茲に一つの物語あり、吐谷渾と申す夷國の阿豺と申すひと、子二十人あり。病気大切なりければ、弟の慕利延を召て申すには「汝壹本の矢をとりてをれ」。慕利延これを折りたれば、又申すには「汝十九本の矢をとりてをれ」。慕利延折る事あたはず。阿豺申すには「汝等能く心得よ、一本なれば折りやすし、數本集まれば折りがたし、皆々一致し國を固めよかし」と。國にても家にても道理は同じ事なり。とかく夫人の詞よりして親族不和となる事おほし、忘るべからず。

右に記しぬるは先祖を尊ぶと、神明を崇むると、親族を睦まじくすると、己上三事なり。是れが子供を育てつる上に大切なる事なり。父母たるもの此の行あれば、子供は誰教ふるとなく自ら正しき事を見習ひて、かしこくもよくもなるものなり、扨て又子供やや成長して人の申す事も耳に入る様になりたら、右等の事を本とし古今の種々なる物語致しきかすべし。子供の時聞きたる事は年をとりても忘れぬものなれば、埒もなき事を申し聞かすよりは少しなりとも善き事を聞かするにしくはなし。

杉の家法に世に及びがたき美事あり。第一には先祖を尊び給、第二に神明を崇め給、第三に親族を睦まじく給、第四に文學を好み給、第五に佛法に惑ひ給はず、第六田畠の事を親らふの類なり。是等の事吾なみ兄弟の仰ぎつとめるべき所なり。皆々能く心懸け候へ、是則ち孝行と申すものなり。

此の書付は阿千代・阿壽等へ示し申すべくとて先日より胸中にたくはへ候處、所詮讀書の閑なく夫きりにいたし置き候。昨朝無事故風と思ひ付き認め懸け候。又暮程に見候へば餘り拙き故止め申すべく存じ候處、夜中阿千代が文を見、涙を流し、所謂鬼の目にも涙とやら云ふしにて、頻りになつかしく相成り候故、拙きながら妹等へ遣はし申し度存じ候。久しく胸中に蓄へたるを昨風と筆を下し、其の夜千代が文参り候事、精誠の感通かとも思はれ候。拙きは何とせう、御閑御座候はば半枚五行位に讀みよきやうに御認め、両妹など御與遣はさる間布くや。恐れながら尊大人へ御頼み仕り然るべく、萬々宜しく頼み奉り候。

三日                               寅

 

 

姪阿萬に與ふ

 

萬也當日長。 不見又一年。 已免父母懐。未立師傅前。仲父坐牢狴。 晨夕守遺編。

愛汝無助之。 道古附詩編。王尊叱九折。 孟母楽三遷。 分陰師陶侃。一経慕韋賢。

忠孝誠可貴。學問為之先。 萬也汝善聴。長江有深淵。

大二郎もの

阿妹千世より息萬へ歌みて給へと申し遣はしければ      のりかた 

たらちねのたまふその名はあだならず千世萬世へとめよその名を

 

 

発句の事に付申しこされ候趣承知致し候。どうぞ心懸けられ候へかしとぞんじ候。さして六ヶ敷き事にはあるまじく候。存じ候所を申すべし。発句は趣向をたててすべし。題に相應の趣向あるべし。たとへば梅の句なれば梅は體なり、夫れへ橋にてももつてむかふが則ち趣向なり、あとは句作りと心得し。柳の句なれば柳は體なり、涙は用なり、趣向なり、これへ句作りを付けてすべし。 

  浪にたつ、 涼しさ持ちて、柳かな

 古池に、蛙飛びこむ、水の音(古池は題なり、蛙は趣向なり、あとは句作りなり)

 

発句はただ心に思ふままを作るべし。

発句には必ず黄瀬戸申すものを入れねばあしし。春夏秋冬の類なり。春雨、春風、秋の暮、冬枯れなど、其の外秋なれば、菊、熟柿、霧、月、うら枯、初鴨、尾花、新酒、露時雨などのる、一々数へがたし。此の間當所にて出来たる発句左に出す。

 

うら枯や、只さうさうと、秋の風  題うら枯

糸車、手もおだれけり、秋の暮   同秋の暮

初鴨の、行くかた哀し、秋間暮   同初 鴨

廣野ゆく、吾が袖寒き、尾花哉   同尾 花

朝霧に、跡先知れぬ、縄手哉    同霧

圖らずも、木の葉をちらす、秋の風 同秋 風

珍らしう、呼ばれて譽める、新酒哉 同新 酒

ぎりに、ぬれる帽子や、暮の秋  同ゆく秋

此のるゐにて御考へ候て一二句讀みて見給へ。

 

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