文政十年詔 写     天保十年前後  杉百合之助

文政十年二月十六日

(しょう) (しょ)

(しょう)、徳を(あらわ)さざれ則ち勧善(かんぜん)()(しょう)を致さざれ則ち報功(ほうこう)(てん)(はい)す。征夷(せいい)大将(だいしょう)(ぐん)(みなもとの)朝臣(あそん)()四方(しほう)(しず)め、文萬方(ばんぽう)(およ)。久しく爪牙(そうが)の職を守り、重く股肱(ここう)(にん)(にな)黎民(れいみん)鼓腹(こふく)の楽しみ有り、蠻夷(ばんい)猾夏(けんか)の憂無し。朝家(ちょうけ)(ますます)(やす)らく、海宇(かいう)(いよいよ)(たい)らかなり。(さき)に、宮室(きゅうしつ)を新たにし、規模(いにしえ)に復す。(こもごも)(せい)(てん)(おさ)め、祭祀(さいし)(すた)れたるを(おこ)す。其の徳宏大(こうだい)にして、其の功豊盛(ほうせい)なり。(しで)武備(ぶび)の重職を(きわ)、未だ文事(ぶんじ)尊官(そんかん)を加へず。今太政大臣に任ず、宜しく左右近衛府(このえふ)生各一人(いちにん).近衛四人.随身(ずいしん)(じょう)(たま)はり、(もっ)(ひせき)(ひょう)し、(あまね)く天下に告げ、(ちん)が意を知ら()むべし。主者(しゅしゃ)施行(しこう)せよ。

用語解説

※詔書=仁孝天皇より将軍家斉に賜りたるもの。松陰の“家大人に奉別す”の詩にある「耳存文政十年の詔」はこれである。

  詔=こういう書き出しの詔書は異例である。

※ (あらわ)さざれ=表さざれ、に同じ。

  源朝臣=将軍家斉(十一代将軍)

  爪牙(そうが)の職=敵を防ぎ、君主を護る武人を草が爪牙(そうが)という。

  股肱の任=主君の手足となって働く家来を言う。

  黎民鼓腹の楽しみ=髪の黒い人。人民をさす。鼓腹は民の生活が安楽で太平を楽しんでいるさま。

  猾夏=猾はさわがす。わが国をさわがすこと。

※ 今太政大臣に任ず=生前、太政大臣に任ぜられたのは徳川将軍中ただ一人である。

※ (ずい)身兵(じょう)=貴人の護衛として朝廷から賜ったともと。


吉田松陰の名文・手紙を読む【目次】ページへ戻る

吉田松陰.comトップページへ