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吉田松陰の足跡をめぐる旅(下田編)


静岡県下田は、日米和親条約の締結に伴い、函館とともに日本で最初に開港となった港町です。
吉田松陰が、異国を見聞しようとペリー艦隊へ乗艦し、密航を試みた場所であり、数多くの吉田松陰に関する史跡が点在しています。
このページでは、海と幕末ロマンの地・下田の松陰関連史跡をご紹介します。


【蓮台寺温泉・吉田松陰寓寄処(旧村山行馬郎邸)】

静岡県指定史跡「吉田松陰寓寄処」 静岡県指定史跡「吉田松陰寓寄処」内部

村山行馬郎邸の二階部分にあたる部屋。通称「松陰隠れの間」。松陰の密航計画を打ち明けられた村山行馬郎が松陰を匿った部屋。 吉田松陰が入浴した村山行馬郎邸の風呂場
静岡・蓮台寺温泉にある旧・村山行馬郎邸。
密航しようと下田に行った吉田松陰が、疥癬(かいせん)という皮膚病の湯治の為に訪れた
蓮台寺温泉で、数日間身を寄せた場所(医師であった村山行馬郎に匿われた)。
当時のままの姿を残しており、静岡県指定史跡「吉田松陰寓寄処」として公開されている。
松陰を匿った部屋や、松陰が使用した机や硯(すずり)なども展示されている必見の松陰スポット。
下田での吉田松陰・金子重輔の足跡なども細かく解説してもらえる。


【蓮台寺温泉・吉田松陰湯治の湯(共同湯)】

吉田松陰が、治療のために初めに訪れた蓮台寺の共同湯 蓮台寺の共同湯。現在も使用されている。
ひどい皮膚病を患っていた吉田松陰が、治療のために初めに訪れた蓮台寺の共同湯。村人しか入浴してはいけない共同湯に
夜中に入浴している松陰を発見した付近の医者・村山行馬郎は、その後、松陰を自邸に呼び入れ、匿った。


【吉田松陰投宿の跡(岡村屋跡)】

「下田屋旅館」という名で現在も営業している 吉田松陰・金子重輔の二人がはじめに宿をとった旅館・岡村屋跡
下田に来た吉田松陰・金子重輔の二人がはじめに宿をとった旅館・岡村屋跡。
「下田屋旅館」という名で現在も営業している。


【吉田松陰拘禁の跡(長命寺跡)】

宝光院長命寺の跡地 吉田松陰拘禁の跡石碑
密航に失敗し自首した吉田松陰と金子重輔が、下田奉行所の命により拘禁された宝光院長命寺の跡地。
現在、長命寺は廃寺となっており、同地には下田市立中央公民館が建っている。


【黒船遊覧船「サスケハナ号」】

黒船を模した遊覧船「サスケハナ号」 海上から見た弁天島
黒船を模した遊覧船「サスケハナ号」。(史跡でもなんでもありませんが…)
松陰が密航をしようと身を隠し、小舟を漕ぎ出した弁天島を海上から見ることができる。


【吉田松陰の像(三島神社内)】

三島神社内に建立された吉田松陰の石像 下田の海を雄々しく見つめる松陰像
昭和17年に三島神社内に建立された吉田松陰の石像。下田の海を雄々しく見つめる。潮風と経年からか傷みが激しい。


【吉田松陰踏海の企て跡、吉田松陰・金子重輔の像「踏海の朝」】

吉田松陰踏海の企て跡説明看板 吉田松陰と金子重輔の像。題は「踏海の朝」
弁天島の横にある公園に建てられている、吉田松陰と金子重輔の像。題は「踏海の朝」。


【吉田松陰の七生説の碑・金子重之助の顕彰碑、弁天島 弁天社】

吉田松陰の七生説の碑・金子重之助の顕彰碑 弁天社
弁天島にある吉田松陰の七生説の碑・金子重之助の顕彰碑と弁天社。
吉田松陰と金子重輔はこの祠に身を隠して西暦1854年4月24日の夜、密航を試みた。弁天島は現在陸続きになっている。


【ハリスの小径、吉田松陰「至誠通天」顕彰碑】

ハリスの小径入口 「至誠通天」と大書された吉田松陰顕彰碑
弁天島から少し行くと、初代米国総領事・ハリスが散歩したという「ハリスの小径」が見えてくる。
その途中に「至誠通天」と大書された吉田松陰顕彰碑がある。


【吉田松陰上陸の碑】

松陰と金子重輔が送り返され上陸した場所(福浦海岸) 吉田松陰上陸の碑
密航の乗艦を拒否された松陰と金子重輔が送り返され上陸した場所(福浦海岸)。
ハリスの小径をそのまま15分ほど歩くと吉田松陰上陸の碑に突き当たる。


【ペリー上陸の碑】

ペリー上陸の碑 マシュー・ペリー像
ペリー艦隊の乗組員が上陸した、下田公園下の鼻黒の地に建つペリー上陸の碑。
吉田松陰、金子重輔の密航未遂事件に関するペリー提督の感想としては、松陰と金子に非常に好意的な文書が残されている。
「日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、
興味深いことである。日本人の志向がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と実のあるもの
であるか、その前途は何と有望であることか。(中略)哀れな二人の運命がその後どうなったかはまったく確かめることが
できなかったが、当局が寛大であり、二人の首をはねるというような極刑を与えないことを望む。なぜなら、それは
過激にして残忍な日本の法律によれば大きな罪であっても、我々にとってはただ自由にして大いに讃えるべき
好奇心の発露にすぎないように見えるからである」
と述べている。


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